今年も【03 / 11 14:46】に、黙とうをささげました。
黙とうの後に夫と、当時のことをいろいろ話しました。
早いのか、遅いのか。
時間は皆に平等で、月日は止まることなく過ぎていきます。
言葉には不思議な力があります。
言葉ひとつで、人を元気にさせたり、一喜一憂したり。
自分の気持ちを奮い立たせたり、ハッとさせられることも。
ココロに残った言葉を書き留めているノートの中から一文。
「あなたが無為に過ごした“今日”という日は、昨日死んでいった者たちがあれほど生きたいと願った“明日”」
学生の時に車とバイクの免許を取得して、すぐに購入したのは400ccのバイク。
当時、札幌に住んでいたので走りだせば「北海道ツーリング」というとっても恵まれた環境でした。
ホームセンターで初めてテントと寝袋を買って、初めて3泊4日でキャンプをしながら北海道ツーリングをした20歳の夏、バイクの旅がとっても面白くて「絶対に日本一周する!」と心に決めました。
そう決めたものの、時間もお金もなく、当時は水泳のインストラクターをしていて仕事が楽しかったので退職することは全く考えていませんでした。
23歳の秋、突然母が他界しました。
母の死をキッカケに、いつ何があるかわからないし、いつまでも健康でいられる保証もないので “やりたいことをやろう!”と強く思いました。
私が“やりたいこと”・・・そうだ!「バイクで日本一周!!」
一人暮らしで貯金がほとんどなかったので、まずはお金を貯めなければなりません。
水泳のインストラクターを退職して、夜勤のある工場で働き始めました。
当時、携帯電話やパソコンが普及し始めた頃で、半導体の工場がとってもお給料が良かった時代。
本当は一気にバイクで日本一周をしたかったのですが、不在時の家賃の支払いや旅の資金を貯めるのにとっても時間がかかるので、エリアごとに旅をすることに。
半導体の工場で1年ほど勤めてから、初めての道外ツーリングは「東北」。
節約のため、キャンプしながらの旅でした。
キャンプ場はもちろん、雨の日は営業時間が終わった道の駅の軒下にこっそりテントを張らせていただいたことも。
道の駅にテントを張らせていただいた時は、営業時間前に撤収することが当然と決めていたのですが、ある日の朝、テントを撤収する前に道の駅の職員さんが出勤していて、コチラに歩いてきました。
謝ろうと思ったら「どこから来たの?」と声をかけられました。
いろいろ話をして「また、来てね!」なんて言っていただいたことを今でも覚えています。
海沿いの道の駅でした。
次に私がそこを訪れたのは約10年後、東日本大震災のあとです。
あの時、声をかけてくれた道の駅の職員さんはどうしているだろうか・・・。
バイクに乗ることはとても楽しいのですが、”(事故で)死ぬかもしれない”ということは、いつも頭の片隅にありました。
何事もないことを“当たり前”とは思っていませんでした。
長く旅に出る時は、いつも簡単な身辺整理をしていました。
部屋がグチャグチャだったら、死んだあとでも恥ずかしいかな・・・と思って。
【お金が貯まったら、旅に出る】ということを繰り返して、転職が多く定職に就かなかった代償はもちろんありますが、まったく後悔していません。
人生の中で、どれだけ多くの職種に就くことができるだろうか。
転職が多ければ、それだけ知り合いも増えるし経験値が上がります。
そしてバイクを通じ、日常では出会えない人に会い、美しい景色を見て、美味しいものを食べることができ、すべての経験を自分の肥やしにして今の自分があります。
震災後、何度となく被災地を訪れ、復興していく様子を見てきました。
東日本大震災は、今の私につながっています。
遠く離れていますが、私は忘れません。
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